2016年12月冬・編集発行・野尻湖フォーラム

中村家住宅の鍛冶資料の特徴

沼津市歴史民俗資料館 小松大介

2.中村家について

 柏原にある中村家は鍛冶場が作られてから2代に渡って鍛冶屋を営んでこられた家です。鍛冶場は現在も柏原の地に中村家住宅として見ることができます。明治39年旧信濃尻村の鍛冶屋高橋要右エ門家の三男の治平さんが中村家に婿入りいたしました。これが中村家に鍛冶場が作られるきっかけとなりました。そして、平成4年、治平さんのご子息である与平さんが病に倒れるまでこの鍛冶場が使われていました。

包丁を磨ぐ中村稔さん
センを使って包丁を磨ぐ中村家の中村稔さん

 かつての鍛冶屋では鍛冶を統括する親方と親方の指示で向鎚を振るって鉄を叩いたり延ばしたりする先手(さきて)で作業を行います。現在の鍛冶屋では鉄を叩いたり伸ばしたりする先手が行っていた作業は動力ハンマーを使用して行うため親方一人で作業を行うことが可能になりました。中村家においては昔ながら鍛冶の方法を守り続けていました。当主が親方を担い、先手は男性の弟子や子息が担当することもありますが、主に当主の妻たちが担っていました。信濃町において、動力ハンマーが普及するまでは妻が先手を勤めることは珍しいことではなかったようですが、平成に至るまで夫婦による鍛冶を続けていたのは中村家だけでした。そのため、しばしば、マスメディアには夫婦鎚として取り上げられることもありました。妻の仕事は鍛冶ばかりではなく、炊事洗濯などの家事、鍛冶屋を始める前から代々引き継いできた田畑も妻を中心に行っていたので休む暇がないほどだったようです。⟩⟩⟩

 

 


文頭へ前へ次へ