2017年12月冬・編集発行・野尻湖フォーラム

電報閑話

文と写真 小林力

 今では笑い話のような真面目なお話をしましょう。

 遠く、小学生の頃か中学生の頃か、教科に出てきた真面目な話です。

 今、「電報」という言葉を知っている人や「電報」を使う人たちはどのくらいいるでしょうか。すでに「電報」という言葉を知っている人たちは後期高齢者と察しが付くくらいの年配の皆さんで、広く忘れられた言葉になったようです。しかし電報の発信には規則正しい「通話表」という決まりがあって、電話などで発信文を伝える時に使われて電文が作られました。たとえば、「アシタ」という電文を伝える時には「朝日のア、新聞のシ、煙草のタ」というように伝えて電文を作ったのです。

 今は、急ぎでなくても、スマホ、ケイタイ、電話と通信手段が満ち溢れています。当の私も今のケイタイで機種を替えて二台目、これも街中の公衆電話が姿を消したために、宴席からの帰りの手段としてやむなく手にしたものです。でも確かに便利です。

 昭和30年代の頃、私の家には電話が入っていませんでした。「公社の電話」が入ったのは昭和40年を過ぎての頃、十万円ほどの公社の債権を買ってのことでした。公社の電話が入る以前は、町の「有線放送」というシステムがあって、町内なら自由に話すことができましたが、ダイヤルの電話ではなく「○○回線の○番」というのが個々の家の有線番号で、確か我が家は31回線の5番でした。

 呼び出しはダイヤル方式ではないので、アナウンスが番号を呼ぶのです。「5番、5番、5番」と家人が受話器を手にするまで呼び続けました。これも1回線が15番まであれば15軒の電話機に呼び出しのアナウンスが流れるのです。 ⟩⟩⟩

 


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