2017年12月冬・編集発行・野尻湖フォーラム

電報閑話

文と写真 小林力

 そのはず。当時は柏原の駅(現在の黒姫駅)で汽車に乗り、上野までは12時間を超える時間を要した頃です。ましてや今のように保冷の容器があるわけでもない。一升瓶に汲んだ水を風呂敷に包み、リュックで背負い、車内の人ごみの温もりに12時間以上もさらされ水のこと、元気で野山を駆けた頃、子供の頃、農作業に汗をした青年の頃に口にした淵の冷水とは違うはずです。

 彼は再びノケマの水を口にすることなく、旅先で旅立ったそうです。年老いた母親は、姿を変えて帰ってきた子供の眠る仏間に、ノケマの水を汲んでは供え「あの子は可哀相だった、あの子は可哀相だった」と涙を流していたと言います。

 元気で生まれ在所に帰れなかった彼の魂は、蛍火のように再び淵を訪ねることができたのか、冷水に触れることができたのか……。もう一世紀近い遠い日の話ですが、旅先で彼が求めた幼い日の淵の冷水は、今も尽きることなく朗々と湧き出し、広く田んぼを潤しています。

小林力
野尻本道の原住民

 


文頭へ前へ次へ