2010年12月冬・編集発行・野尻湖フォーラム

我が野尻のお祭り
平成二十二年宇賀神社式年大祭を振り返って

佐藤幸雄

 さて特別行事の決定内容はすべて実行されたので、地域の皆様には周知のことと思う。しかし何をやるにもまず費用がかかる。これについては氏子の皆様はじめ企業・団体の皆様にご無理を申し上げ、その結果多大なご協力をいただくことができ、いくらか目処も立ってきた。こんな時にこそ「本殿の修復費用もなんとか…」と期待して寄付に臨んだが、これにはちょっと及ばず。そして欠かせないのがそれぞれに関わる人材・人員を揃えることだ。今年の氏子総代会メンバーは皆とても協力的だった。長丁場の式年大祭期間であっても各々がそれぞれの役割に従事していただけたことは、そして達成できたことは各々の人生に価値あるものとして残ったことと思う。

 その中でも失礼ながらご高齢にもかかわらず、フリーマーケットの着想とその準備(出店者を集う)から実行(当日開店)に至り、28日の開催日は猛暑の中を、臆することなく一日中炎天下の下で働いてくれたK子さん(のド根性)には頭が下がる。もちろん、事前の準備と長期間の式年大祭を賑わせていただいた神楽部の皆様、町廻りで白装束になっていただくなどで各組・各集落から参加いただいた奉仕者の皆様、稚児・五穀捧持児童とそのご家族の皆様方にも本当にご苦労いただいた。地元のことだから当たり前とは言いつつ、しかし各々にはそれぞれの事情がある中を、無理をしてでも望んで参加するところで「祭」は成り立っていくのだろう。

 我が野尻の宇賀神社式年大祭とあれば、歴史もあることながら現代に綿々と繋がる本殿での神事をはじめ数々の特別行事を世に知らせない手はないだろうと、資料を作り新聞社に持ち込み、チラシを作って信濃町全町内に新聞折り込みをしてみる。周知徹底手段のチラシには遊覧船の割引乗船券を付けて興味付け・野尻湖への動機付けを狙ってもみた。資料・チラシを持って臨んだ寄付集めも、実は集金行為だけでなく、より世間に知らしめる手段になっていたと気付きもした。あれこれと出来うる限りの準備をしたつもりだけれど、一抹も二抹も心配を抱えながらも開催日はやってきた。

 式年大祭初日21日は毎年のことながら朝早くから随所に幟や吹き流しが立ち上がり、氏子総代と各組・各集落の奉仕者による琵琶島装飾によって本祭の幕開けとなる。この日は作業終了後、式年大祭奉告祭も執り行われた。

 


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