2018年12月冬・編集発行・野尻湖フォーラム

野尻湖の思い出(2)

秋元摩那

 桟橋もなくなり、湖で泳ぐことももうなくなり、散歩や家で過ごす時間が増えた。数年前には路線バスがなくなり、コミュニティバスになって湖や駅へ行くのが増々不便になった。このように時代の波を受けながら野尻の家を取り巻く環境は変わっていくが、いつまでも変わらないのが静かな湖畔、ナウマンゾウと一茶の里の信濃町、そして黒姫高原と童話館。

 数年前に仕事をリタイアし、5月、8月、10月と季節のいい時期に以前より長く滞在できるようになった。いろいろ知り合いも増え、行くと必ず寄るお店ができた。そして地の野菜を近くから頂き、お米も近くで栽培している方と知り合って年間通して送ってもらうようになり、これらが新たに増えた野尻の楽しみになっている。

 手元に1977年に出されたふみの丘の15人の方々による岡野繁蔵さんの追悼記がある。当時、ふみの丘では毎年夏になると各家に必ずどなたかが見えていて野尻での交流があり、賑やかだったのでこのような文集を作ることができたのだろう。

 現在はゴールデンウィークや夏のお盆のころでも来る人は少なくなってしまった。特に学生の姿はほとんど見かけず、若い人は他へ行ってしまうのか、忙しくてのんびり休暇を過ごす時間がないのかもしれない。

 四季の移り変わり、昔と変わらない野尻湖、変化の激しい日本の中で、今では貴重な存在とも思える。冬の雪さえなければ永住したいほど。旅行もいいが、私には野尻に出かけるのがいちばんの楽しみで、これからも時間があれば野尻で過ごしたいと思っている。

秋元摩那
イタリア料理教室Pera主宰。日本でスローフード活動を続けイタリア食科学大学院で学ぶ。

 


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