2018年12月冬・編集発行・野尻湖フォーラム

野尻湖の思い出(2)

秋元摩那

 就職してから20年近く、春夏秋に野尻湖で休暇を過ごすことができた。桟橋も思い出のひとつ。ウクレレやギターを持ち込んで歌った。今でもウクレレを聞くと当時のことを思い出す。野尻へは車で6〜7時間かかったが、次第に高速道路が整備されて便利になった。

ふみの丘の桟橋にて
ふみの丘の桟橋にて

 その頃から、パーキンソン病を発病した母が歩くのが年々大変になり、夏などは両親を野尻に残して職場と野尻を3〜4往復することもあった。仕事と介護が重なり、母を家で看ることにしようと勤めを辞めて、料理を学びにイタリアへ行くことにした。ところがイタリアに行っている間に両親が相次いで亡くなり、家を建て替え自宅で料理教室を開くことになった。この間は人生の転換期で、息抜きに野尻へ出かけるといつも野尻は何も変わらず待っていてくれてありがたかった。

 料理教室も8月はお休みにし、以前のように春夏秋の野尻を楽しんだ。高速道路のインターも道の駅も近くにできて便利にはなったが、信越線はすっかり寸断され長野で乗り換えなければならなくなった。駅の賑わいが消え、駅近辺のお店が徐々に減って、買い物は車で大型店へ行かざるを得なくなってしまった。  ⟩⟩⟩

 


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