2010年12月冬・編集発行・野尻湖フォーラム

NLA診療所について

 Lloyd Neve著 "Nojiri Experience"より
 --A History of The Nojiri Lake Association 1920〜1985-- 

 1985年発行された野尻湖協会の歴史が資料とともにまとめられたもの。この中の「治療と公衆衛生」「医療設備」に診療所のことが少し書かれている。その概要は、

 NLAが発足したのが1921年で、以降、夏の間時々、米軍関係から医者が来ていた。1930年代には東京から歯科医が来てテニスコート横の中村ストアの2階で診療することもあった。1934年のハンドブックの記録には、重症患者は、交通の便が悪かったため、皆で担いで柏原の診療所まで連れていくなど医療に関しては苦労が多かった、とある。

No.29キャビン
今は一棟だけになった29番のキャビン

 1959年、医療のための仕事場と住居が必要ということで、キャビンナンバー29番に診療所として1軒、医者の宿泊所として1軒建てた。医療は日本の優秀な医者たちがあたった。これは1972年、柏原の診療所が総合医療のできる信越病院として建て替えられるまで続き、その後はボランティアの看護師のいるファーストエイドセンターとして教会の一室が使われるようになった。

 1974年に29番の診療所は1軒は壊し、もう1軒は看護師の宿泊所として使われていた。

 長島さんがいらしたのはこの29番の診療所で、教会の裏を登った上にある。入院設備があったかどうかは上の資料からだけではわからないが、13年間、夏の短い間の診療所として多くのお医者さんたちが期間も回数もまちまちに訪れ、医療活動をした、湖とともに思い出の多い場所なのだろう。

 

 


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