2018年12月冬・編集発行・野尻湖フォーラム

栗飯

文と写真 小林力

 私たち夫婦には4人の子供がいる。長男は20Kmほど離れた町の会社で部品設計の図面を描いている。転勤族の長女夫婦も20Kmほど離れた町へ越してきた。次女は埼玉で、三陸沖地震までは夫婦揃っての税務署職員。地震の夜、大宮の事務所から浦和の自宅まで2時間半ほどかけて歩いて帰ったら、子供が学校で教わった通りにテーブルの下に入って教科書を開いていたと言う。これを見た夫婦、子供のためにと次女が社を辞め、今はパートのような形で大手食品会社の配送センター部門の経理をやっているとか。三女は京都の向日市で介護士の資格を得て、施設で汗している。

 そんな8人の子供夫婦とそれら夫婦の6人の孫たち、14人のもとへ妻は今だ1000円の米に1500円の運賃を背負わせて送り続けている。この所作がいつの日にか途絶えたとき、母がいなくなったとき、この子供たちや孫たちが今のように帰る故郷、訪ねる母の故郷が残されているのか否か、今の私にはわからない。

 お正月やお盆に全員が集まれば16人の食卓になる楽しさが思い出の中にだけ残る。遠い遠雷のように光る一時の行きずりになってしまうかもしれないと思うと、若い18歳の少女のように、己の信念を抱き続けることのできない、己の我をはることのできない自分の老いた身が寂しく悲しいが、貧しくとも生まれ在所へ、故郷へ帰れる細い道を老いても消したくない思いに駆られる。

 

小林力
野尻本道の原住民

 


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